2019年02月
2019年02月27日23:56母にも見せてあげたくて・・・城南宮のしだれ梅
今年も城南宮の神苑を訪れました。
近くに引っ越して来た母にも150本のしだれ梅が咲き乱れる景色を見せてあげたくて、ようやく見頃を迎えた城南宮に向かいました。
今日は平日の朝ということで駐車場も空いていて、神苑に最も近いところに車を止めることができました。
母はシルバーカーを押しているので、母の負担にならないようにと懸念しながらも、まずは本殿にお詣りしてから神苑に向かいます。
神苑に入るとすぐにこんな景色が目に飛び込んできます。
見頃と書いてあったのですが、まだ少し早かったかな?
いつもよりは寂しい感じがします。
私は足元に顔を覗かしているフキノトウにも反応!
近くに引っ越して来た母にも150本のしだれ梅が咲き乱れる景色を見せてあげたくて、ようやく見頃を迎えた城南宮に向かいました。
今日は平日の朝ということで駐車場も空いていて、神苑に最も近いところに車を止めることができました。
母はシルバーカーを押しているので、母の負担にならないようにと懸念しながらも、まずは本殿にお詣りしてから神苑に向かいます。
神苑に入るとすぐにこんな景色が目に飛び込んできます。
見頃と書いてあったのですが、まだ少し早かったかな?
いつもよりは寂しい感じがします。
でも、開いたばかりのしだれ梅の花びらは活き活きとしていて、とてもきれいです。
私は足元に顔を覗かしているフキノトウにも反応!
2019年02月23日21:23宮古島からのプレゼント
昨日、宮古島に住む悦子さんから宅配便が届きました。
段ボールの中を開けてみると・・・色とりどりのおいしそうな野菜たちがいっぱい入っています。
悦子さんとの出会いは今からもう6年くらい前になるでしょうか?
東北の震災の後、『セラピスト募集』の記事を見て出向いたことがきっかけです。
2人は同じエサレンボディワークのプラクティショナーだったことで意気投合。
その後一度だけ交換セッションをしただけなのに、なぜか繋がり合うものを感じ、コラボをしないかと持ちかけたのは私の方です。
すぐに話は盛り上がり、毎月、新月と満月に『Happy moon therapy』を開催することに。
私がアロマのカウンセリングを担当し、私が作ったアロマのブレンドオイルを使って悦子さんがエサレンマッサージをするというアロマとエサレンのコラボイベントは、予想以上に多くの方々に喜んで頂いて、月に2回悦子さんのサロンに通うことがとても楽しかったなと、あの頃を懐かしく思い出します。
親子ほども歳が離れているのに、いつも前向きで目標に向かって努力を惜しまず行動を起こす彼女はとても魅力的で、私は彼女から学ぶことも沢山ありました。
無農薬で化学肥料も使わないのも私と同じコンセプト。
段ボールの中を開けてみると・・・色とりどりのおいしそうな野菜たちがいっぱい入っています。
箱から出したらこんなにも入っていましたよ。
悦子さんとの出会いは今からもう6年くらい前になるでしょうか?
東北の震災の後、『セラピスト募集』の記事を見て出向いたことがきっかけです。
2人は同じエサレンボディワークのプラクティショナーだったことで意気投合。
その後一度だけ交換セッションをしただけなのに、なぜか繋がり合うものを感じ、コラボをしないかと持ちかけたのは私の方です。
すぐに話は盛り上がり、毎月、新月と満月に『Happy moon therapy』を開催することに。
私がアロマのカウンセリングを担当し、私が作ったアロマのブレンドオイルを使って悦子さんがエサレンマッサージをするというアロマとエサレンのコラボイベントは、予想以上に多くの方々に喜んで頂いて、月に2回悦子さんのサロンに通うことがとても楽しかったなと、あの頃を懐かしく思い出します。
親子ほども歳が離れているのに、いつも前向きで目標に向かって努力を惜しまず行動を起こす彼女はとても魅力的で、私は彼女から学ぶことも沢山ありました。
次の目標に進むため、大阪のサロンを手放して宮古に移り住んだ悦子さんは、トウガン農家の素敵な男性と巡り合い結婚。
一昨年には木津に引っ越した我が家にも、結婚の報告を兼ねて訪れてくれました。
そして昨年には可愛い女の子のママにもなり、今は幸せな家庭を築いています。
出産のお祝いにと送ったベビー服が気に入ってもらえたようで、今年のお正月にもその洋服を着せた子供の写真をラインで送ってくれたり・・・
遠くに離れている今でも、時々私のことを思い出してくれることがうれしくて。
結婚してからも自宅サロンでエサレンのセッションは継続していたのですが、子育て中の今はできなくなっていると思いきや、今度は無農薬野菜をオシャレにセットして、本土の繋がりのある人に向けて野菜の販売を始めているとのこと。
一昨年には木津に引っ越した我が家にも、結婚の報告を兼ねて訪れてくれました。
そして昨年には可愛い女の子のママにもなり、今は幸せな家庭を築いています。
出産のお祝いにと送ったベビー服が気に入ってもらえたようで、今年のお正月にもその洋服を着せた子供の写真をラインで送ってくれたり・・・
遠くに離れている今でも、時々私のことを思い出してくれることがうれしくて。
結婚してからも自宅サロンでエサレンのセッションは継続していたのですが、子育て中の今はできなくなっていると思いきや、今度は無農薬野菜をオシャレにセットして、本土の繋がりのある人に向けて野菜の販売を始めているとのこと。
無農薬で化学肥料も使わないのも私と同じコンセプト。
安全でハートのこもった野菜の詰め合わせはきっと評判になることだと、今の彼女の生き方を垣間見ることができて、私までうれしくなりました。
いつも前を向いてどんどん進んで行く彼女の行動力には本当に頭が下がります。
常に進化し続けている彼女がとても眩しいです。
この季節は我が家も野菜の少ない時期で、まもなくスーパーの野菜も買ことになるのですが、宮古は今が最盛期のようで、久しぶりの食べた完熟トマトのおいしさにも感動です。
昨夜は頂いたお野菜をいっぱい入れて『鶏肉のトマトシチュー』を作りました。
普段手に入らない、島ニンジンやビーツを入れて煮込みます。
この季節は我が家も野菜の少ない時期で、まもなくスーパーの野菜も買ことになるのですが、宮古は今が最盛期のようで、久しぶりの食べた完熟トマトのおいしさにも感動です。
昨夜は頂いたお野菜をいっぱい入れて『鶏肉のトマトシチュー』を作りました。
普段手に入らない、島ニンジンやビーツを入れて煮込みます。
ビーツを入れたことでいつもより赤い色が鮮やかで、ボルシチ風に仕上がりました。
また我が家も野菜のない時期には野菜セットを注文しようとワクワクです。
宮古島からのハートのこもったプレゼント。
心も身体もホッコリな幸せな夜でした。
心も身体もホッコリな幸せな夜でした。
悦子さんの心遣いに感謝です。
2019年02月18日21:49めいちゃんがくれた手紙
先日の土曜日の夜、私の作ったアルバムを芽依と麻菜にプレゼントしました。
2人はそれぞれに自分のアルバムのページをめくりながら、楽しかったその時々の記憶が蘇ったようで、興味津々眺めています。
最後のページにはアルバムにポケットを作りそっとお手紙を忍ばせておきました。
そろそろ文字が読めるようになった5歳の芽依のために、全部平仮名で書いたのですが、伝えたい思いがいっぱいで文が少し長くなり、芽依はひとりでは全部を読めなかったようです。
今回はママが一緒ではなかったので、私が読むことに。
自分で書いた手紙を自分で読むのはちょっと照れますが、芽依の顔を見ながら呼びかけるように読んでみました。
めいちゃんとの楽しかった思い出をアルバムにしたこと。
年中さんになってすっかりお姉さんになってなんでもひとりでできるようになったこと。
お絵かきも歌もダンスもバトンも上手にできて、いつも感心していること。
めいちゃんはとても頑張り屋さんだということ。
とても優しくて心がきれいなめいちゃんが大好きだということ・・・
そんな内容の手紙を読んでいたら、ふと芽依の顔が泣きそうになった気がしました。
私がキッチンに立った後も、ひとりでもう一度じっくりとアルバムを見ていたのですが、キッチンにいる私の元に、『あーちゃんにお手紙を書いたよ。』と言って2つ折りにした一枚の手紙を届けてくれました。
色鉛筆で描いているのでかなり薄い字で分かりにくいのですが・・・
表紙には
『あーちゃんのしゃしんおもしろかったよ。』と。
裏には私の似顔絵が書いてありました。
そして中を開いてみると・・・
『あーちゃんいまのなきそうなきもちでみたよ。
かわいかったよ。
おもしろかったよ。』と。
芽依の書いた手紙を読んで、私は芽依の健気さに胸がいっぱいになり、涙が出そうになりました。
『ありがとう〜!めいはなんていい子なの。大好き!!』とぎゅーと芽依をハグ。
たった5歳だというのに、私の作ったアルバムにも感動し、そしてこのように気持を表現できるなんて、芽依の感性の鋭敏さには驚かされます。
『芽依の感性や繊細さは、きっと私の遺伝子を受け継いでいるわ。』と親を差し置き、自分勝手に確信している私です。(笑)
愛をいっぱいに受けて育ったこと。
何があっても自分の味方になってくれる人がいること。
そんな幼い日の記憶が孫たちの潜在意識の中にしっかりと根付き、自分を信頼できる人に育ちますように・・・
大きな大きな祈りを込めて。
2人はそれぞれに自分のアルバムのページをめくりながら、楽しかったその時々の記憶が蘇ったようで、興味津々眺めています。
最後のページにはアルバムにポケットを作りそっとお手紙を忍ばせておきました。
そろそろ文字が読めるようになった5歳の芽依のために、全部平仮名で書いたのですが、伝えたい思いがいっぱいで文が少し長くなり、芽依はひとりでは全部を読めなかったようです。
今回はママが一緒ではなかったので、私が読むことに。
自分で書いた手紙を自分で読むのはちょっと照れますが、芽依の顔を見ながら呼びかけるように読んでみました。
めいちゃんとの楽しかった思い出をアルバムにしたこと。
年中さんになってすっかりお姉さんになってなんでもひとりでできるようになったこと。
お絵かきも歌もダンスもバトンも上手にできて、いつも感心していること。
めいちゃんはとても頑張り屋さんだということ。
とても優しくて心がきれいなめいちゃんが大好きだということ・・・
そんな内容の手紙を読んでいたら、ふと芽依の顔が泣きそうになった気がしました。
私がキッチンに立った後も、ひとりでもう一度じっくりとアルバムを見ていたのですが、キッチンにいる私の元に、『あーちゃんにお手紙を書いたよ。』と言って2つ折りにした一枚の手紙を届けてくれました。
色鉛筆で描いているのでかなり薄い字で分かりにくいのですが・・・
表紙には
『あーちゃんのしゃしんおもしろかったよ。』と。
裏には私の似顔絵が書いてありました。
そして中を開いてみると・・・
『あーちゃんいまのなきそうなきもちでみたよ。
かわいかったよ。
おもしろかったよ。』と。
芽依の書いた手紙を読んで、私は芽依の健気さに胸がいっぱいになり、涙が出そうになりました。
『ありがとう〜!めいはなんていい子なの。大好き!!』とぎゅーと芽依をハグ。
たった5歳だというのに、私の作ったアルバムにも感動し、そしてこのように気持を表現できるなんて、芽依の感性の鋭敏さには驚かされます。
『芽依の感性や繊細さは、きっと私の遺伝子を受け継いでいるわ。』と親を差し置き、自分勝手に確信している私です。(笑)
愛をいっぱいに受けて育ったこと。
何があっても自分の味方になってくれる人がいること。
そんな幼い日の記憶が孫たちの潜在意識の中にしっかりと根付き、自分を信頼できる人に育ちますように・・・
大きな大きな祈りを込めて。
2019年02月15日23:30私の撮った孫たちの世界《2018年の思い出》
私が写真に興味を持ったのはもう10年以上前のことです。
もともと機械は苦手な方で理論的なことは全くわからないまま、ただ感覚だけで撮っているので技術は未だに初心者のままです。
でも旅行に行った時に見た美しい景色や花など、その時の感動をカメラを通して残すことが大好きでした。
当時は人物には全く興味がなく、一緒に行った人の写真もほとんど撮っていなかったのですが、初孫が生まれた6年前からは、子供たちのスナップばかりを撮るようになりました。笑
最近ではみんながスマホで動画や写真を撮るようになった中でも、私はキャノンのミラーレス一眼を手放せません。
最近はカメラの調子が悪く、きっと壊れているなと思いながらも、孫たちの成長の記録として、二度とないと瞬間を写真に撮り続けています。
写真のレベルは低いのですが、愛おしさいっぱいの孫たちの写真は私の宝物。
沢山撮っている写真を形に残したくて、1年分の写真を纏めてアルバムを作り、孫たちにプレゼントしようと思いついたのは3年前。
お正月には、私と一緒に過ごした孫たちの1年間をアルバムにして渡していました。
孫も4人になり、様々なシーンの枚数も多すぎて、選ぶのも大変です。
それに1枚づつ明るさを調整したり、トリミングしたり・・・
日常もやることが多すぎて時間が足りず、今年のお正月には完成させることが出来ずにいました。
でも先日ようやく2冊のアルバムが完成しました。
まずは息子の方の孫たちに向けてのアルバムです。
長女の芽依のアルバムは231枚。
次女の麻菜のアルバムは222枚です。
少し多すぎですよね。
娘が見て、『同じようなシーンで表情が少し違うだけなのに、こんなにもいらないんじゃないの。』と笑うけれど、いえいえ、私にとっては全てのシーンが愛おしく、その瞬間は二度とないと思うとどのシーンも捨てがたくなってしまい、ついつい枚数が多くなってしまった感じです。笑
今はみんながスマホで撮りデータとして残してはいるのですが、親たちすらプリントすることは殆どなく、これはとても貴重だと我ながら大満足なのですが・・・
私は元々クリエイティブなことが大好きで、作る作業は楽しいのですが、経費と時間がかかりすぎることがちょっと難点。。。
こんなアナログなアルバムは今年が最後と誓いつつ・・・
最後にお手紙を添えて渡します。
私のハートのプレゼント。
幼い孫たちにも伝わるかしら。
孫たちが大人になった時、こんなおばあちゃんがいたこと忘れないで欲しいという孫たちへの小さなアピールなのかも知れません。
後2人のアルバムも早く作らなくっちゃ〜。
春になるまでに頑張ります。
もともと機械は苦手な方で理論的なことは全くわからないまま、ただ感覚だけで撮っているので技術は未だに初心者のままです。
でも旅行に行った時に見た美しい景色や花など、その時の感動をカメラを通して残すことが大好きでした。
当時は人物には全く興味がなく、一緒に行った人の写真もほとんど撮っていなかったのですが、初孫が生まれた6年前からは、子供たちのスナップばかりを撮るようになりました。笑
最近ではみんながスマホで動画や写真を撮るようになった中でも、私はキャノンのミラーレス一眼を手放せません。
最近はカメラの調子が悪く、きっと壊れているなと思いながらも、孫たちの成長の記録として、二度とないと瞬間を写真に撮り続けています。
写真のレベルは低いのですが、愛おしさいっぱいの孫たちの写真は私の宝物。
沢山撮っている写真を形に残したくて、1年分の写真を纏めてアルバムを作り、孫たちにプレゼントしようと思いついたのは3年前。
お正月には、私と一緒に過ごした孫たちの1年間をアルバムにして渡していました。
孫も4人になり、様々なシーンの枚数も多すぎて、選ぶのも大変です。
それに1枚づつ明るさを調整したり、トリミングしたり・・・
日常もやることが多すぎて時間が足りず、今年のお正月には完成させることが出来ずにいました。
でも先日ようやく2冊のアルバムが完成しました。
まずは息子の方の孫たちに向けてのアルバムです。
長女の芽依のアルバムは231枚。
次女の麻菜のアルバムは222枚です。
少し多すぎですよね。
娘が見て、『同じようなシーンで表情が少し違うだけなのに、こんなにもいらないんじゃないの。』と笑うけれど、いえいえ、私にとっては全てのシーンが愛おしく、その瞬間は二度とないと思うとどのシーンも捨てがたくなってしまい、ついつい枚数が多くなってしまった感じです。笑
今はみんながスマホで撮りデータとして残してはいるのですが、親たちすらプリントすることは殆どなく、これはとても貴重だと我ながら大満足なのですが・・・
私は元々クリエイティブなことが大好きで、作る作業は楽しいのですが、経費と時間がかかりすぎることがちょっと難点。。。
こんなアナログなアルバムは今年が最後と誓いつつ・・・
最後にお手紙を添えて渡します。
私のハートのプレゼント。
幼い孫たちにも伝わるかしら。
孫たちが大人になった時、こんなおばあちゃんがいたこと忘れないで欲しいという孫たちへの小さなアピールなのかも知れません。
後2人のアルバムも早く作らなくっちゃ〜。
春になるまでに頑張ります。
2019年02月07日20:19立春からの・・・母の旅立ち
2月4日立春、母は86年間住み慣れた大阪を離れ我が家の近くに引っ越して来ました。
約14年前に父が亡くなって以来、母は実家でのひとり暮らしをしていましたが、心臓の大きな病気が発覚。手術の後は健康への不安もあり、自立型の老人専用住宅に移り住みました。
今から5年ほど前、私が大阪を離れて郊外に家を建てようと決めたとき、一緒に暮らさないかと母を誘ってはみたのですが、その頃は母もまだ元気があり、慣れ親しんだ大阪を離れることを嫌がって、きっぱりと拒否したのでした。
私が木津に新居を構えたのは今から約3年前。
母がゆっくりと泊まれる部屋は作っていたので、母は旅行気分で我が家に泊まりに来ては、自然豊かな木津で過ごす時間を楽しむようになりました。
我が家で食べる採りたての野菜にも感動し、我が家をとても気に入ってくれました。
母は若い頃から京都や奈良のお寺詣りが大好きで、京都のことなら私よりよく知っています。
ここはそんな思い出の地にも行きやすいという環境も母には魅力で、便利な都会もいいけれど、郊外もいいなと思い始めたようです。
引っ越し当初はひとりで電車に乗って木津駅まで来る元気もあったのですが、昨年くらいから心臓の調子が悪くなり、足腰も一層弱って、ひとりでは来ることもできなくなり、送り迎えが必至になっていました。
同時に自立型でのひとり暮らしには負担も多くなり、だんだん自信がなくなってきたようでした。
『もう限界かも』。。。
そう感じたのは今から1年前。
体調が安定しない母のケアをするには余りにも距離が離れすぎ、私の近くでもっとお世話をしたいと思うようになりました。
『木津に来たら?』
軽く聞いてみたところ、母の顔は輝いて、以前とは全く反応が違っていたのです。
母が同居を拒否していたので、母の泊まる部屋は確保していたものの、母の生活全てを迎え入れる程の広さはありません。
そこで近くのサービス付き高齢者住宅を探したところ、7軒目で受け入れて下さるところを見つけ申し込み、約1年後ようやく順番が回ってきたのでした。
私の近くに来ることを母はうれしそうにしているのですが、大阪を離れることは本当に大丈夫なのか・・・実は私は半信半疑だったのです。
何度も確認する私に、
『もうひとりでいるのは心細い。幸子の側に行きたい。』
と母は言ったのです。
いつもは強気な母からそんな言葉を聞いたのは初めててです。
母の心の声を聞いて、
『私が全て引き受けよう。一緒に暮らすことはできないけれど、近くで私のできる限りのことをしよう。』と思ったのでした。
今回の高齢者住宅のスタッフの方々はとても温かく母を迎え入れて下さいました。
メッセージ付きのウエルカムフラワーまで頂いて感激です。
医療法人で、看護師さんも常駐する手厚い介護は以前とは比べ物にならず、安心感でいっぱいです。
ワンルームにはあり得ないほどの荷物を持っての引っ越しでしたが、ようやく荷物も収まり、過ごしやすい部屋が出来上がりました。
母は窓から見える田園風景ののどかさも気に入り、介護の手厚さにも感動しています。
新しい環境、新しい人間関係・・・その全てが始めてて、馴染んでいくのには多くのエネルギーを使うことでしょう。
しばらくは毎日母の様子を覗きに行きながら、母が少しずつ生活のペースができるように見守っていきたいと思っています。
これからの母の人生が穏やかで、笑顔いっぱいの日々でありますように・・・
ただ祈ります。
約14年前に父が亡くなって以来、母は実家でのひとり暮らしをしていましたが、心臓の大きな病気が発覚。手術の後は健康への不安もあり、自立型の老人専用住宅に移り住みました。
今から5年ほど前、私が大阪を離れて郊外に家を建てようと決めたとき、一緒に暮らさないかと母を誘ってはみたのですが、その頃は母もまだ元気があり、慣れ親しんだ大阪を離れることを嫌がって、きっぱりと拒否したのでした。
私が木津に新居を構えたのは今から約3年前。
母がゆっくりと泊まれる部屋は作っていたので、母は旅行気分で我が家に泊まりに来ては、自然豊かな木津で過ごす時間を楽しむようになりました。
我が家で食べる採りたての野菜にも感動し、我が家をとても気に入ってくれました。
母は若い頃から京都や奈良のお寺詣りが大好きで、京都のことなら私よりよく知っています。
ここはそんな思い出の地にも行きやすいという環境も母には魅力で、便利な都会もいいけれど、郊外もいいなと思い始めたようです。
引っ越し当初はひとりで電車に乗って木津駅まで来る元気もあったのですが、昨年くらいから心臓の調子が悪くなり、足腰も一層弱って、ひとりでは来ることもできなくなり、送り迎えが必至になっていました。
同時に自立型でのひとり暮らしには負担も多くなり、だんだん自信がなくなってきたようでした。
『もう限界かも』。。。
そう感じたのは今から1年前。
体調が安定しない母のケアをするには余りにも距離が離れすぎ、私の近くでもっとお世話をしたいと思うようになりました。
『木津に来たら?』
軽く聞いてみたところ、母の顔は輝いて、以前とは全く反応が違っていたのです。
母が同居を拒否していたので、母の泊まる部屋は確保していたものの、母の生活全てを迎え入れる程の広さはありません。
そこで近くのサービス付き高齢者住宅を探したところ、7軒目で受け入れて下さるところを見つけ申し込み、約1年後ようやく順番が回ってきたのでした。
私の近くに来ることを母はうれしそうにしているのですが、大阪を離れることは本当に大丈夫なのか・・・実は私は半信半疑だったのです。
何度も確認する私に、
『もうひとりでいるのは心細い。幸子の側に行きたい。』
と母は言ったのです。
いつもは強気な母からそんな言葉を聞いたのは初めててです。
母の心の声を聞いて、
『私が全て引き受けよう。一緒に暮らすことはできないけれど、近くで私のできる限りのことをしよう。』と思ったのでした。
今回の高齢者住宅のスタッフの方々はとても温かく母を迎え入れて下さいました。
メッセージ付きのウエルカムフラワーまで頂いて感激です。
医療法人で、看護師さんも常駐する手厚い介護は以前とは比べ物にならず、安心感でいっぱいです。
ワンルームにはあり得ないほどの荷物を持っての引っ越しでしたが、ようやく荷物も収まり、過ごしやすい部屋が出来上がりました。
母は窓から見える田園風景ののどかさも気に入り、介護の手厚さにも感動しています。
新しい環境、新しい人間関係・・・その全てが始めてて、馴染んでいくのには多くのエネルギーを使うことでしょう。
しばらくは毎日母の様子を覗きに行きながら、母が少しずつ生活のペースができるように見守っていきたいと思っています。
これからの母の人生が穏やかで、笑顔いっぱいの日々でありますように・・・
ただ祈ります。