2019年11月
2019年11月28日17:44あびこ観音さまへ《母のお礼詣り》
昨日、母と一緒に大阪のあびこ観音にお詣りに行きました。
私たち夫婦が結婚した40年前、地下鉄あびこ駅にある狭いマンションに住んでいたのですが、同じあびこ駅の反対側には節分祭で賑わうあびこ観音さんがあり、節分祭はもちろんのこと、初詣で、息子の七五三詣りなど、事あるごとにあびこ観音を訪れていました。
掃き清められた境内の大楠の周りにはいつも鳩がいっぱいいて、幼い息子を連れて散歩にもよく行ったものです。
掃き清められた境内の大楠の周りにはいつも鳩がいっぱいいて、幼い息子を連れて散歩にもよく行ったものです。
現在87歳になる母は、大阪に住んでいる頃から、毎月18日の観音さんの日にはあびこ観音を訪れ、般若心経や観音経を唱えるほど観音さまへの信仰は厚く、私たちの受験、結婚、孫やひ孫の誕生などの折には無事を祈り、いつもお詣りに行ってくれていました。
歳を重ね、足腰が不自由のなってからも、私や妹の旦那さまの付き添いで、月詣りは継続していたのですが・・・
大阪を離れたことで、今までのようにお詣りに行けなくなることが母のただひとつの心残りだったようです。
そんな訳で今でも観音さんの方角に向かって手を合わせているとのこと。
そんな訳で今でも観音さんの方角に向かって手を合わせているとのこと。
昨日、母と一緒にあびこ観音を訪れたことには大きな目的がありました。
それは・・・
話は7年前に遡ります。
実は息子のお嫁さんが妊娠中に重い病気にかかり、彼女の体の回復はもちろんのこと、お腹にいる赤ちゃんが無事に産まれるかどうか、とてつもない程の大きな心配を抱えた時期がありました。
私はただ祈ることしかできず、伊勢神宮に春日大社にと、母子の無事を祈り続ける日々を送っていたのです。
そんな時、母はあびこ観音にお詣りし、観音さんとひとつの大きな約束をしていたようです。
それは『ひ孫が無事に生まれますように・・・』という願いと引き換えに、『大好物のタコを断ち、一生食べない。』という約束でした。
母は食生活において好き嫌いも多い方なのですが、タコだけは大好物だったので、母にとっては最大級の大きな祈りの証だったのだと思います。
みんなの祈りが通じたのでしょうか・・・母体も順調に回復し、お腹の子も五体満足で元気に生まれてきてくれました。
その後も何ひとつ問題はなく元気に育ってくれ、来年は小学校に通うまでにもなりました。
『もうすっかり大きくなったし、タコ断ちをやめたらどうかな?』
何度か促してはみたものの、母は観音さんと約束をしたからと大好きなタコは断固として食べようとしなかったのです。
先日のことです。
最近咳がよく出るようになった母ですが、その日は咳が苦しくてこのまま呼吸困難で死ぬんじゃないとと思った時があったそうです。
その瞬間、ふと思い残したことが頭によぎったそうですが、その時に
『あぁ〜。。。タコを食べていない。』
とも思ったとのこと。
『あぁ〜。。。タコを食べていない。』
とも思ったとのこと。
それを聞いた私は、この世に思いを残すほどなのに、これ以上我慢するのは良くないと感じ、
『タコ断ちはもう止めようよ。神様も許してくれるから。』
と、母を説得したのでした。
と、母を説得したのでした。
母も先日の体験を通して自分の本心に気がついたようで、ようやく首を縦に振り、
『あびこ観音さんに行ってお礼を言ってからにする。』
と、言ったのです。
『あびこ観音さんに行ってお礼を言ってからにする。』
と、言ったのです。
そんな訳で、昨日、あびこ観音詣りをすることに。
いつものように本堂に上がり、観音さんの前で
『みんなが元気に育っていてありがとうございます。』
『今日からタコ断ちをやめさせてもらいます。』
心を込めて祈っている母の言葉を隣で聞きながら、私は胸が熱くなりました。
『みんなが元気に育っていてありがとうございます。』
『今日からタコ断ちをやめさせてもらいます。』
心を込めて祈っている母の言葉を隣で聞きながら、私は胸が熱くなりました。
お詣りの後、母が背負っていたひとつの荷物を下ろすことができ、とても清々しい気分になったように見えました。
息子は趣味の釣りでよくタコ釣りに行き、沢山のタコを釣ってくるのですが、今までは可愛い孫の釣ったタコを食べることが出来なかってのですが、
『これからはしんちゃんの釣ったタコが食べられる。』
と、笑顔で話してくれました。
『これからはしんちゃんの釣ったタコが食べられる。』
と、笑顔で話してくれました。
明日、妹夫婦と一緒に5人で食事会にいく予定です。
『タコメニューを選んで、観音さんに感謝しながら食べようね。』
と、今から楽しみでなりません。
と、今から楽しみでなりません。
母の祈りが神様に届き、現在8人のひ孫たちはみんな元気に育っています。
『こんなにいっぱいのひ孫に囲まれて、私は本当に幸せやわ。』
母は最近良くこう言っています。
母は最近良くこう言っています。
お母ちゃん、いつもみんなの幸せを祈ってくれてありがとう。
2019年11月25日20:57南イタリアへの旅 《Part 8》コロッセオ&フォロ・ロマーノ
バチカン市国を後にして、地下鉄でローマのコロッセオに向かいます。
コロッセオは古代ローマ時代、市民のための娯楽施設だった円形の闘技場です。
以前、妹と来たときはあまりにも人が多く、コロッセオは外からの見学だけになってしまったのですが、今回はほとんど並ぶことなくスムーズに入ることができました。
コロッセオは4階建てで、周囲527m、高さ48mあります。
とても広く、5万人も収容できたそうです。
とても広く、5万人も収容できたそうです。
ここで剣闘士(グラディエーター)同士や、剣闘士と猛獣との死闘が繰り広げられました。
剥き出しの部分は地下部分で、檻や待機場などがあったそうです。
今では外壁や内部は崩れてしまっていますが、当時は全体が円形で1階から3階までの座席や、日除けの天蓋があったとのこと。
すごいスケールの大きさにローマ帝国の栄華を垣間見ることができました。
私は知らなかったのですが、夫が以前観た映画『グラディエーター』の世界を思い浮かべ、当時の様子をイメージをしやすかったと言っていました。
私も観てから行けば良かったなと、思いつつ・・・
コロッセオを出て、西隣のフォロ・ロマーノに向かいます。
フォロ・ロマーノは古代ローマの政治、経済、宗教の中心だったところです。
《ティトウスの凱旋門》
《マクセンティウスのバシリカ》裁判や集会のための会堂
《アントニウスとファウストティーナの神殿》
パラティーノの丘のテラスから全体の風景を見ました。
手間に見えるのは《ユリウスのバジリカ》
フォロ・ロマーノの中枢の《クーリア》
向こうに見える大きな建物は《マクセンティウス帝のバジリカ》
中は広く、石畳のでこぼこした道は歩きづらく少し疲れました。笑
現在も古代ローマの遺跡が今も残っているなんて・・・かつての繁栄の軌跡を味わうことができました。
スケールが半端なく大きくて、ローマは本当にすごいです。
この後はお土産を買いにスーパー巡りをして、イタリア最後の夜を迎えました。
翌朝、たくさんの素敵な思い出を携えてついに帰国です。
結婚40周年記念の南イタリアへの旅。
思い切って行ってきて良かったです。
そして2人が元気で南イタリアまで行けた幸運に、感謝の気持ちでいっぱいです。
抵抗のあった団体のバスツアーでしたが、ツアーの添乗員さん始め、素敵なメンバーにも恵まれ、とても楽しい旅の日々を過ごすことができました。
南イタリアの訪れた場所、出会った人たち、そんな旅の全てに感謝して・・・
私の長〜い旅日記、ここまで読んで下さってありがとうございました。
剥き出しの部分は地下部分で、檻や待機場などがあったそうです。
今では外壁や内部は崩れてしまっていますが、当時は全体が円形で1階から3階までの座席や、日除けの天蓋があったとのこと。
すごいスケールの大きさにローマ帝国の栄華を垣間見ることができました。
私は知らなかったのですが、夫が以前観た映画『グラディエーター』の世界を思い浮かべ、当時の様子をイメージをしやすかったと言っていました。
私も観てから行けば良かったなと、思いつつ・・・
コロッセオを出て、西隣のフォロ・ロマーノに向かいます。
フォロ・ロマーノは古代ローマの政治、経済、宗教の中心だったところです。
《ティトウスの凱旋門》
《マクセンティウスのバシリカ》裁判や集会のための会堂
《アントニウスとファウストティーナの神殿》
パラティーノの丘のテラスから全体の風景を見ました。
手間に見えるのは《ユリウスのバジリカ》
フォロ・ロマーノの中枢の《クーリア》
向こうに見える大きな建物は《マクセンティウス帝のバジリカ》
中は広く、石畳のでこぼこした道は歩きづらく少し疲れました。笑
現在も古代ローマの遺跡が今も残っているなんて・・・かつての繁栄の軌跡を味わうことができました。
スケールが半端なく大きくて、ローマは本当にすごいです。
この後はお土産を買いにスーパー巡りをして、イタリア最後の夜を迎えました。
翌朝、たくさんの素敵な思い出を携えてついに帰国です。
結婚40周年記念の南イタリアへの旅。
思い切って行ってきて良かったです。
そして2人が元気で南イタリアまで行けた幸運に、感謝の気持ちでいっぱいです。
抵抗のあった団体のバスツアーでしたが、ツアーの添乗員さん始め、素敵なメンバーにも恵まれ、とても楽しい旅の日々を過ごすことができました。
南イタリアの訪れた場所、出会った人たち、そんな旅の全てに感謝して・・・
私の長〜い旅日記、ここまで読んで下さってありがとうございました。
2019年11月22日20:19南イタリアへの旅 《Part 7》ヴァチカン市国 サン・ピエトロ大聖堂
旅の最後の目的地ローマにやってきました。
最終日のローマでの1日は自由行動になっています。
早朝にホテルを出て、夫が是非行きたいと言っていたヴァチカン市国に向かいます。
ヴァチカン市国は世界最小の独立国で、人口はローマ法王と聖職者や衛兵など800人ほどですが、約13億人の信者がいると言われるカトリックの総本山です。
ホテルを出てテルミニ駅から地下鉄に乗りました。
地下鉄の1日フリーパスは添乗員さんの付き添いで買っていたし、なんとなくわかるだろうと簡単に考えていたのですが、駅に着いた途端にマゴマゴ。。。
なんとか無事サン・ピエトロ寺院到着です。
私は以前妹と訪れたことがありますが、その時は人がいっぱいで、寺院の前に辿り着くのも長い行列ができていたのですが、今回はスイスイ進み、全く並ぶこともなく中に入ることができました。
中に入った途端、余りのスケールの大きさに感嘆の声が上がります。
《ピエタ》
ミケランジェロが25歳で完成させた傑作。
死せるキリストを腕に抱いた聖母マリアを表します。
私はなぜかこのピエタに魅せられて・・・
今でも忘れられないくらいです。
クーポラの展望台に上がることに。
私たちは途中までエレベーターを使いました。
エレベーターを使っても、その後は階段しかありません。
とても細くて長い階段を上がりました。
想像以上にきつかったです。
やっと到着しました。
大聖堂内部。
天井の絵や壁画を近くで見ることができました。
前回は人が多すぎてクーポラには上がらなかったのですが、今回上がることができて良かったです。
展望台にあるショップで小さなガラス瓶に入った聖水を見つけました。
迷わず購入し、私のお守りに。
サン・ピエトロ寺院を後にして、次の目的地コロッセオに向かいます。
Part 8に続きます。
2019年11月21日21:53南イタリアへの旅 《Part 6》アマルフィ海岸ドライブ
マテーラを後にして、バスは一路アマルフィを目指します。
今回は25人のツアーだったので、専用バスはゆったりしていると思いきや、かなり小さめのバスだった理由がこの海岸ドライブで納得です。
アマルフィ海岸の道路は道が細い上にクネクネしていて、その上路上駐車の車がやたら多く、対向するのも大変な状態でした。
イタリア人の縦列駐車はびっくりするほどツメツメで、『前にコツン、後ろにコツンと当てながら出るのも当たり前。』だと添乗員さんが教えてくれました。(笑)
そんな訳で運転手さんの運転技術もかなり高度です。
私は車窓の景色に感動。
車が立ち往生している隙にカメラのシャッターを押しました。
海が綺麗です。
ポジターノ展望台に到着しました。
ポジターノはイタリア屈指の高級リゾート地とのこと。
ここからは地中海式の町と海の素晴らしい景色を眺望できます。
港から急な斜面に張り付くようにパステルカラーの建物が並びます。
また雨が降り出しました。
今回は雨季だったのですが、ハイシーズンはお天気もいいけど、道路はもっと混んで大変だそうです。
バスに乗りアマルフィのホテルに向かいます。
これは確かマリア様の像でしたっけ?
バスの中から撮りました。
ホテルに到着です。
小さいホテルですが、海に面したテラスがある部屋でテンションアップです。
ホテルの部屋から見た夜のアマルフィ。
長いドライブの旅の4日目が終わりました。
そして・・・翌朝の景色です。
旅の5日目はアマルフィを散策し、ナポリを経由してローマに向かいます。
Part 7に続きます。
アマルフィ海岸の道路は道が細い上にクネクネしていて、その上路上駐車の車がやたら多く、対向するのも大変な状態でした。
イタリア人の縦列駐車はびっくりするほどツメツメで、『前にコツン、後ろにコツンと当てながら出るのも当たり前。』だと添乗員さんが教えてくれました。(笑)
そんな訳で運転手さんの運転技術もかなり高度です。
私は車窓の景色に感動。
車が立ち往生している隙にカメラのシャッターを押しました。
海が綺麗です。
ポジターノ展望台に到着しました。
ポジターノはイタリア屈指の高級リゾート地とのこと。
ここからは地中海式の町と海の素晴らしい景色を眺望できます。
港から急な斜面に張り付くようにパステルカラーの建物が並びます。
また雨が降り出しました。
今回は雨季だったのですが、ハイシーズンはお天気もいいけど、道路はもっと混んで大変だそうです。
バスに乗りアマルフィのホテルに向かいます。
これは確かマリア様の像でしたっけ?
バスの中から撮りました。
ホテルに到着です。
小さいホテルですが、海に面したテラスがある部屋でテンションアップです。
ホテルの部屋から見た夜のアマルフィ。
長いドライブの旅の4日目が終わりました。
そして・・・翌朝の景色です。
旅の5日目はアマルフィを散策し、ナポリを経由してローマに向かいます。
Part 7に続きます。
2019年11月20日20:41南イタリアへの旅 《Part 5》洞窟住居マテーラ
旅の4日目はアルベルベッロからマテーラを経由してアマルフィに向かいます。
マテーラに向かうバスの途中、まるで嵐のような横殴りの雨が降り、前も見えないほどです。
この季節は雨季でスコールは覚悟していたのですが、まさかここまでの大雨とは。。。
幸いにもマテーラ到着の頃には雨も霧雨となり、なんとか見学はできそうです。
現地のガイドさんによると、先ほどの大量の雨で、お店の床も浸水し、ほとんどの店が閉まっている状態でした。
学校も休校になったようです。
まずは全体を見渡せる展望台に向かいます。
まるで台風の後のように、看板なども倒れ、床に溜まった雨水を掃除する光景を目にしました。
霧雨の中を歩きます。
マテーラは岩山をくり抜いた洞窟住居群『サッシ』が残る街で世界遺産に登録されています。
ベルヴェデーレ展望台からは、荒々しい大地に重なり合うように並ぶ住居跡が一望できます。
マテーラに向かうバスの途中、まるで嵐のような横殴りの雨が降り、前も見えないほどです。
この季節は雨季でスコールは覚悟していたのですが、まさかここまでの大雨とは。。。
幸いにもマテーラ到着の頃には雨も霧雨となり、なんとか見学はできそうです。
現地のガイドさんによると、先ほどの大量の雨で、お店の床も浸水し、ほとんどの店が閉まっている状態でした。
学校も休校になったようです。
まずは全体を見渡せる展望台に向かいます。
まるで台風の後のように、看板なども倒れ、床に溜まった雨水を掃除する光景を目にしました。
霧雨の中を歩きます。
マテーラは岩山をくり抜いた洞窟住居群『サッシ』が残る街で世界遺産に登録されています。
ベルヴェデーレ展望台からは、荒々しい大地に重なり合うように並ぶ住居跡が一望できます。
『サッシ』とは『岩』を意味する言葉の複数系でこの地域では洞窟住居のことです。
8世紀から13世紀にかけてイスラム勢力から逃れた東方正教会の修道士たちが移り住み、洞窟内に多くの教会や修道院を作って隠遁生活を送っていたそうです。
20世紀初頭にゴーストタウンになったようですが、近年は保存活動が盛んになっているとのこと。
『洞窟なのに、四角い家の形をしている。。。?』と思ったのですが、洞窟の前にレンガを積み、家の形を作っているそうです。
でも大雨も過ぎ去り、歩いて見学できるこのタイミングに到着できたことは、本当にラッキーでした。
マテーラの後は、次の宿泊地アマルフィに向かって260kmのバスの旅。
ポジターノ展望台に向かいます。
Part 6に続きます。