天河神社
2015年07月06日18:19山に抱かれて《天河神社にて》
丹生川上神社下社から、さらに山道を走らせます。
ようやく川が見えてきました。水が澄んでいて、とてもきれいです。
天河神社は大峰山系の麓にある神社で、
『縁がなければたどり着けない場所』とも言われています。
今回は5回目の参拝ですが、今回も天河さんとご縁を結ぶことができました。
1年半ぶりの天河さんは人も少なく、とても静かです。
感動を写真に収めたいのに、残念ながらカメラの充電切れで・・・
諦めきれずiPadで撮ってます。(笑)
石の階段を上がり、本殿に。
階段の右手にある石
階段の途中、左側にある祠と石
石の強いエネルギーを感じました。
本殿は言葉では表現できない程の神聖な空気が漂っています。
大好きな五十鈴
友人と二人でご祈祷を申し込みました。
階段の途中に並んで座り、階段を上がって
神様の玉串を捧げることができました。
帰りの階段
今回ようやく出会えた3つ目の石。
また今年も天河さんにご縁を結べた幸運に感謝します。
2014年01月30日17:58天河さんからのメッセージ
写真だけでは伝えきれなかった私の思い、このブログで伝えたいと思います。
今回の天河神社参拝は私にとって、とても大きな意味のある参拝となりました。
初めて訪れてからは、7〜8年くらい経つのでしょうか。。。?
たくさんの荷物を背負いながら、生きていることで精一杯だったあの頃の私にとって、天河神社のスピリチュアルな雰囲気に強く惹かれ、行くことで何かが変化するかもしれないという大きな期待感を抱いての参拝でした。
今から12年前、突然襲った夫の病。クモ膜下出血でした。
同い年の二人はまだ46歳。
青天の霹靂という言葉のもつ意味を初めて知りました。
奇跡的に一命を取り留めた幸運の陰に、後遺症である体調の悪さに悩まされ続け、私にとっても苦しい日々が続きました。
当時は不安と心配と隣り合わせで生きていたような気がします。
そんな日々の中で、すがる思いで天河さんを訪れたあの日のことを今でもはっきりと覚えています。
一人での運転が不安で、娘に一緒に行ってもらったっけ。
みたらい渓谷に足を延ばしてみたけど、夫には負担だったようでしんどそうだったなぁ。。。
同い年の二人はまだ46歳。
青天の霹靂という言葉のもつ意味を初めて知りました。
奇跡的に一命を取り留めた幸運の陰に、後遺症である体調の悪さに悩まされ続け、私にとっても苦しい日々が続きました。
当時は不安と心配と隣り合わせで生きていたような気がします。
そんな日々の中で、すがる思いで天河さんを訪れたあの日のことを今でもはっきりと覚えています。
一人での運転が不安で、娘に一緒に行ってもらったっけ。
みたらい渓谷に足を延ばしてみたけど、夫には負担だったようでしんどそうだったなぁ。。。
いつしか二人は58歳になり、私は自分を取り巻く環境が大きく変化していることをに気がつきました。
4回目の参拝をした昨日は、天河神社に向かう道のりの半分を夫が運転してくれました!!
体調の不安も全くなく、すっかり元気になっています。
今回はすがる気持ちは全くなく、ただ何となく天河神社を訪れたいと思ったから。
こんなにも穏やかで豊かな気持ちでの参拝は初めてでした。
夫も前に訪れた時の体調の悪さを思い出し、元気になった自分の変化を実感したようです。
二人で並んで祝詞を聴きながら、今、この瞬間、ここに二人でいる幸せを心から感じました。
そして・・・いつの間にか、普通の生活が送れるようになったことへの感謝を忘れていた自分に気がつき、ハッとしました。
そして・・・いつの間にか、普通の生活が送れるようになったことへの感謝を忘れていた自分に気がつき、ハッとしました。
普通の生活が送れること・・・
毎日、普通に目覚め、美味しく食事が摂れ、自分の意思で自由に動けること。
こんな当たり前の生活を送れることが、どれほどまでにありがたいことかも、十分理解していたはずなのに、最近の私はそんな大切なことを忘れていた気がします。
昨日の参拝はそんな大切なことを思い出させてくれました。
これこそが天河神社からのメッセージではなかったかと・・・
これこそが天河神社からのメッセージではなかったかと・・・
そして・・・自分の傲慢さを反省するいい機会にもなりました。
自分を取り巻く全ての人たち、自分を産んで育ててくれた両親、ご先祖様、神様への感謝を忘れないでいたいです。
今思えば、全てが今に繋がる必要な出来事だったと思います。
同時に、全ての経験が私たちを育ててくれました。